かんがえる

かんがえるためには

かんがえたくなる理由があるのかな?

なんの理由もなくかんがえることはない?



かんがえるという行為に関して

人類はかなり考えてきてるだろうなと

想像します


L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature ; mais c'est un roseau pensant. Il ne faut pas que l'univers entier s'arme pour l'écraser : une vapeur, une goutte d'eau, suffit pour le tuer. Mais, quand l'univers l'écraserait, l'homme serait encore plus noble que ce qui le tue, puisqu'il sait qu'il meurt, et l'avantage que l'univers a sur lui ; l'univers n'en sait rien. Toute notre dignité consiste donc en la pensée. C'est de là qu'il faut nous relever et non de l'espace et de la durée que nous ne saurions remplir. Travaillons donc à bien penser : voilà le principe de la morale.(B.347, L.200)』 Blaise Pascal, Pensées
『人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。これを押しつぶすには、全宇宙が武装する必要はない。一吹きの蒸気、一滴の水だけで、殺すには十分である。だが、たとえ宇宙が押しつぶそうと、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら人間は自分が死ぬこと、宇宙が自分よりもまさっていることを知っているからである。宇宙は何も知らない。 だから、われわれの尊厳のすべては考えることにある。われわれが立ち上がらねばならないのはまさにそこからであって、われわれが満たすことのできない時間や空間からではない。だから、よく考えるようにつとめようではないか。そこに道徳の原理がある。 (B.347, L.200)』ブレーズ・パスカル『パンセ』(戸口民也訳)


ぼく自身も

かんがえるのが好きで

めちゃかんがえてきた


ただ


乳児期の体感を

ある意味で

根に持って育ってきたことで

今の社会に根ざしている

「あたりまえ」

「なんで?」

というラベルを貼って

管理してきたことで

かなり

ユニークなものの見方に

なってます



そんなぼくの

かんがえるに対するスタンスは


そもそも人は
かんがえるということを
必要としてない


です

ただ


そもそも


なんで

その

そもそもが崩れてる場合は

かんがえるということの必要性は

あったりなかったりです


どうして

こんなことを書いているかというと

かんがえるという行為に

疑問がいっぱいあるからです


えっとね

分かってることって

かんがえないじゃないですか


分かんないから

かんがえるでしょ?


そういうことだと

ぼくは理解してます


そもそも


わかる

わからない


って

何が基準なんでしょう?


生まれてきたばかりの赤ちゃんは

何もわかんないのでしょうか?

どう思います?


あのですね


わかる

わからない


の判定基準ってね

生まれる前からあることになってて

その基準で

ぼくがわかってるかどうかを

評価される

という経験の記憶があります


みなさんは

どうだったでしょう?


わかる

わからない


それがぼくのものだった期間は

とても短くて

1歳までだった


それまでは


わかる


しかなかったんです


感覚としてですよ

言葉での表現だから

完全一致しないですよ


これ読んで


それってこういうことだろうな


とか自己流で想像し始めると

どんどん

核心から離れる可能性がありますよ

わかるときは

想像とかしないですから


わかる

わからない


の基準がないと

世界のディティールは

なんの疑問もなく


へぇ〜


とか


ふ〜ん


とか


あらら〜


って感じでした


ことばじゃないですけどね

なんというか

上に挙げたことばを使うときの

体感に近い感じってことです


そしてね

ずーっとね


わかり続けるんです



次々と衝動がこみ上げる

やってみたいことがこみ上げてくるの

興味ってのが

次々こみ上げてくるの

かんがえるって感じではなくて

おしよせる流れに

ながされちゃうように


その頃の身体は動かしてるのか

動いちゃうのか

あやふやで

とにかく


気づきとわかるが

ものすごいスピードで

切り替わりながら

世界は超高速のコマ送りのような感じで

展開して行くわけです


世界と自分の境目がないから

世界は自分のことのように存在する


たとえばね


おなかがなることあるでしょ?

グゥ〜 とかって


世界に生まれては消えて行く音と

おなかが「グゥ〜」ってなるのの違いはわからず

音が鳴ってると気づける


音って振動と共振と共鳴って説明するじゃないですか


そんなこと

赤ちゃんのときは

知らなくても

わかるんです


もちろん

そんなのわかってるとは言わない

という判定基準があるから

それ持って来られると

わかってないことになるけれど



・・・・



これも長くなったなぁ

記事分けます




つづく

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